ハンディのちから

健康生活ー歩行補助具

生き生きと生活するための車いす

「生き生きと生活するための車いす」では、下肢障害者となり、健常者と同じことができずに移動などに時間を取られ、生き生きと生活するための時間が無くなるなかで、車いすにたどり着くまでの葛藤の情報を記述しています。

生き生きと生活する

車いすは社会で活動される障害者やシニアなどのハンディの移動手段として使われ、さらに障害者やシニアなどのハンディが生き生きと生活するためにとても重要な役割を果たしています。病気の後遺症が残り障害者になったり、高齢者になり身体が不自由になると、「なにもできない」と言う気持ちになりがちです。「なにもできない」は、いつしか「外出したくない。人と会いたくない。障害者となった姿を人に見られたくない」に変化していきます。そして、生き生きと生活するために必要な「デイサービスや通所リハビリテーション」に行くことも億劫になってきます。
家から街に出る道路が3本ありますが、どの道路も傾斜が10%以上の急な坂道ですので相当な腕の力が必要になり、車いすになったら一人で外出もできない。

車いすに対する
抵抗感

障害者でありシニアでもあるハンディを持った管理人ですが、私も最初は車いすを使うことに抵抗がありました。その抵抗感は、自分が障害者になったことを認めたくない、「自分の障害が重くなった」と言う気持ちになるからです。
「私はまだ車いすを使わなくても歩けるし、私の障害は車いすを使うほど重くない」と言う気持ちと自分は車いすを使わなくても社会参加できるという思いでした。また、車いすを受け入れることは、自分の障害者になったり、障害が重くなったことを自分自身で証明しているような気持ちになるものです。 もう一つ、管理人のような人生の半ばで病気によって障害を負った中途障害者にとって、いわゆる「残存能力」は心の拠り所なんです。「自分の足で歩けるうちは、なんとか歩きたい。」と言う思いです。
しかし、歩行能力の衰えとともに、次第に健常者と一緒に歩くことを避け、下肢障害者以外の障害者と一緒に歩くことも避けるようになっていました。 下肢の対麻痺である管理人は最初は片手杖を使い、歩いて通勤していました。しかし、病気の進行と共に転倒を繰り返していました。悩んだ管理人は理学療法士さんに相談しました。返ってきた答えは「片手杖ですと、二歩のうちの一歩は麻痺した下肢だけで支えているから転倒しやすいので、両手杖にすれば何時も杖と麻痺した下肢で支えることができる」というものでした。

パートタイム車いすユーザーになる

さらに、弱った足の力をカバーして体を支えていた手首や腕も痛めてしまうことになりました。ここで二つの転機がありました。
一つは最初は抵抗を感じたが、「手首や腕が痛いときや長距離移動には車いすを使おう!短距離や手首や腕が痛くないときは両手杖にすればいい」と冷静に受け止め、車いすの使用を決断しました。
二つ目は、宮城アビリンピックに千葉県代表選手として参加したときでした。ホテルから会場行きのバス乗り場まで参加者全員で歩くとき、どうしても私だけ遅れます。そんな状況のなかで、スタッフの方がそっと車いすを用意してくれていました。周りには多くの障害者がいるためか、気恥ずかしさも半減していました。 それ以来、車いすという道具を使うことによって健常者と一緒に歩くこともでき、節約できた時間で自分のやりたいことができる楽しさを発見しました。それ以来、両杖歩行・歩行器歩行・車いす移動を状況に合わせて使い分けて、楽しみや目標を持ち続けて生活しています。
ハンディのちから:ハンディ生活にちから(力)になる応援情報サイト内の画像・素材を
無断で複製・転載・転用することはご遠慮ください。
Copyright(C)2005.ハンディのちからAll Right Reserved.